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芥川龍之介の『杜子春』は、教科書や絵本で一度は読んだことがある方も多い作品です。最後に杜子春が口にする「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」という一言は、名言として引用されることもあります。ただ、「人間らしい」とはどういう意味なのか、なぜ仙人になれなかったことを喜んでいるのかは、あらすじだけでは分かりにくいところです。
この記事では、青空文庫で公開されている原文をもとに、杜子春が3度の黄金を手にしてから「お母さん」と叫ぶまでの流れを追い、結末の言葉の意味を考えます。最後に、もとになった唐代の物語「杜子春伝」との違いを5点に絞って紹介する構成です。引用は旧仮名づかいのまま載せています。
「人間らしい、正直な暮し」は、すべてを失いかけた若者が最後に選んだ生き方です
結末の言葉の重みは、杜子春がそれまでにどんな暮らしをしてきたかを知ると見えてきます。まずは物語の前半で、杜子春が何を手に入れ、何に失望したのかを確認しましょう。
洛陽の西の門で、老人は3度同じ問いをかけます
青空文庫の『杜子春』の図書カードによると、この作品の初出は「赤い鳥」1920(大正9)年7月号です。物語は「或春の日暮です。」という一文から始まり、唐の都洛陽の西の門の下で、ぼんやり空を仰いでいる若者が登場します。それが杜子春で、元は金持の息子でしたが、財産を使い尽くして、その日の暮しにも困る身分になっています。「一そ川へでも身を投げて、死んでしまつた方がましかも知れない」とまで考えているところに、片目眇の老人が現れて「お前は何を考へてゐるのだ。」と声をかけます。冒頭の洛陽は、老人のかぶった紗の帽子や土耳古の女の金の耳環、白馬の手綱が夕日の中を流れていく「画のやうな美しさ」の都として描かれていて、その華やかさが、行き場のない杜子春の姿をいっそう際立たせる書き方です。
老人は、夕日の中に立って地面に映った影の「頭」に当たる所を夜中に掘れば、車に一ぱいの黄金が埋まっていると教えます。杜子春はその通りにして、洛陽でただ一人といわれる大金持になるのでした。立派な家を買い、蘭陵の酒や桂州の竜眼肉を取り寄せ、日に四度色の変る牡丹を植え、白孔雀を放し飼いにするという贅沢ぶりです。噂を聞いて、今まで道で会っても挨拶さえしなかった友だちが朝夕遊びに来るようになり、半年ほどで洛陽の名の知れた才子や美人で杜子春の家に来ない者はいないほどになります。金の杯に西洋の葡萄酒を汲み、天竺生れの魔法使が刀を呑む芸を眺め、そのまわりで二十人の女たちが笛や琴を奏でる、という酒盛りが毎日の光景です。
ところが、どれほどの金持でもお金には際限があり、杜子春は一年二年と経つうちに貧乏になっていきます。昨日まで毎日来ていた友だちも、今日は門の前を通っても挨拶一つしなくなり、三年目の春に一文無しになると、宿を貸してくれる家は一軒もなくなりました。2度目に老人が教えるのは影の「胸」に当たる場所で、杜子春は再び天下第一の大金持に返りますが、三年ばかり経つうちにまたすっかり使い果たしてしまいます。
3度目に老人が影の「腹」の話を始めると、杜子春は手を挙げて言葉を遮りました。頭、胸、腹と、掘る場所が少しずつ下がっていく繰り返しの中で、同じ失敗を2度くり返した杜子春の気持ちが、ここで初めて変わります。同じ問いと同じ答えが3回並ぶ組み立ては、読み聞かせで聞いてもリズムよく頭に入る書き方で、童話雑誌のために書かれた作品らしい工夫でしょう。
「人間といふものに愛想がつきた」から、仙人の弟子を目指します
3度目の黄金を断った杜子春に、老人は「贅沢をするにはとうとう飽きてしまつたと見えるな」と尋ねます。杜子春の答えは「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです。」というものでした。続けて「人間は皆薄情です。私が大金持になつた時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になつて御覧なさい。柔しい顔さへもして見せはしません。」と、お金の有無で態度を変える人々への失望を語ります。
老人は「感心に物のわかる男だ」と笑い、これからは貧乏をしても安らかに暮らしていくつもりかと聞きます。ここで杜子春はちょっとためらい、「それも今の私には出来ません。」と正直に答えます。そして、一夜で自分を大金持にできるのは仙人に違いないと見抜き、弟子にしてほしいと頼み込みました。老人は、自分が峨眉山に棲む鉄冠子という仙人だと明かし、二度まで大金持にしたのも「どこか物わかりが好ささう」に見えたからだと話して、願いを聞き入れます。ただし鉄冠子は、礼を言う杜子春に「立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第できまることだからな。」と念を押しています。弟子入りはゴールではなく、試しの始まりだという合図です。
ここで押さえておきたいのは、この時点の杜子春が「人間らしく生きる」ことをまだ選べていないところにあります。人間に愛想を尽かしたから、人間の世界から抜け出して仙人になりたい、という考え方です。貧しくても安らかに暮らす道を示されても「出来ません」と答えた若者が、物語の最後には自分から「人間らしい、正直な暮し」を口にするようになります。この変化を追いかけることが、結末の言葉を読むときの手がかりです。
鉄冠子は青竹に杜子春を乗せて峨眉山へ飛び、深い谷に臨んだ一枚岩の上に座らせます。そして、自分が天上の西王母に会いに行く間、どんな魔性が現れても「決して声を出すのではないぞ」と言いつけました。一言でも口を利いたら仙人にはなれないと覚悟しろ、と念を押された杜子春は、「命がなくなつても、黙つてゐます。」と約束しました。この約束が、後半の試練の軸になります。峨眉山へ向かう空の上で、鉄冠子は「朝に北海に遊び、暮には蒼梧。」で始まる七言の詩を高らかに歌っていて、自由に天地を行き来する仙人の姿が、地上で行き詰まった杜子春との対比として置かれています。
杜子春は地獄の責め苦にも黙り通し、母の一言で声を上げます
鉄冠子がいなくなると、峨眉山の岩の上では次々に恐ろしいことが起こります。ここでは、杜子春がどこまで約束を守り、どこで声を上げたのかを順に見ていきます。
地獄の責め苦にも口を開かない杜子春
最初に聞こえてくるのは「そこにゐるのは何者だ。」と叱りつける声で、杜子春は返事をしません。次に、爛々と眼を光らせた虎と、四斗樽ほどもある白蛇が現れて同時に飛びかかりますが、杜子春が眉毛も動かさずに座っていると、霧のように消えてしまいます。続く大嵐では、まっ赤な火柱が頭の上に落ちかかり、思わず耳を押さえてひれ伏しますが、それでも声は出しません。大嵐が去ったあと、杜子春は「額の冷汗を拭ひながら」岩の上に座り直しています。平然としているのではなく、怖さをこらえながら約束を守っている姿で、ここにも人間くさい若者としての杜子春が表れています。
次に現れるのは、金の鎧を着た身の丈三丈もある神将です。三叉の戟を胸もとに向けて名乗れと迫り、空を埋め尽くす神兵を呼び寄せても、杜子春は一生懸命に黙っています。とうとう神将は、この峨眉山は天地開闢の昔から自分の住まいだと名乗り、命が惜しければ返答しろと脅しました。それでも黙っている杜子春を、神将はとうとう戟で突き殺し、杜子春の魂は体から抜け出して地獄へ下りていきます。この世と地獄の間には闇穴道という道があり、年中暗い空に氷のような冷たい風が吹き荒れているという描写です。
地獄の森羅殿では、閻魔大王が「何の為に、峨眉山の上へ坐つてゐた?」と問いただします。杜子春は鉄冠子の戒めを思い出して、頭を垂れたまま黙っていました。怒った閻魔大王の命令で、鬼どもは杜子春を剣の山や血の池、焦熱地獄や極寒地獄へ代わる代わる放り込みます。剣に胸を貫かれ、焔に顔を焼かれ、舌を抜かれ、皮を剥がれ、鉄の杵に撞かれ、油の鍋に煮られ、毒蛇に脳味噌を吸われ、熊鷹に眼を食われても、杜子春は歯を食いしばったまま一言も口を利きませんでした。鬼どもも呆れて「この罪人はどうしても、ものを言ふ気色がございません。」と大王に申し上げるほどです。
ここまでの杜子春は、自分の体にどんな痛みが加えられても耐えられる人として描かれています。自分一人の苦しみなら我慢できる、という強さです。読者としては「ここまで耐えたのだから、仙人になれるのでは」と期待したくなる場面ですが、閻魔大王が次に思いつくのは、杜子春本人ではなく、杜子春の大切な人を苦しめるという方法でした。
馬になった父母と、母の「心配をおしでない」
森羅殿の階の上にいるのは、まっ黒な袍に金の冠をかぶった閻魔大王です。その大王が、杜子春の父母が畜生道に落ちているはずだから連れて来い、と鬼に命じます。鬼が引き立ててきた二匹の痩せ馬は、顔が死んだ父母そのものでした。大王は「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さへ都合が好ければ、好いと思つてゐるのだな。」と叱りつけ、鬼どもに鉄の鞭で二匹の馬を打たせます。馬になった父母は、眼に血の涙を浮かべ、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに倒れ伏してしまいました。ここでの大王の言葉は皮肉に聞こえます。黙っているのは仙人になるための約束を守るためですが、見方を変えれば、自分の望みのために親の苦しみを見過ごしていることにもなるからです。杜子春が守ってきた沈黙の意味が、この一言で揺さぶられます。
杜子春は必死に鉄冠子の言葉を思い出し、固く眼をつぶっていました。そこへ、声とはいえないほどかすかな声が届きます。「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰つても、言ひたくないことは黙つて御出で。」という母親の言葉でした。
原文はこのあと、母親が鞭に打たれたことを恨む気色さえ見せないことに触れて、「大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。」と続きます。ここで、前半で杜子春が「人間は皆薄情です」と言い切った言葉が、母親の姿によってくつがえされます。お金があってもなくても変わらずに自分を思ってくれる人が、すぐそばにいたことに気づく場面です。
杜子春は老人の戒めも忘れ、転ぶように駆け寄って半死の馬の頸を両手で抱き、涙を落としながら「お母さん。」と一声を叫びます。自分の痛みには耐えられた杜子春が、母の痛みと思いやりの前では黙っていられなかったわけです。X(旧Twitter)でも、読了した方が約束を守ることと、苦しむ人に声をかけること、二つがぶつかったときにどちらを大切にするのか、という問いが残ったと書いています。この一声は約束を破った失敗ではなく、何を大切にするかを選んだ瞬間として読むことができます。
結末の言葉は、仙人よりも人の中で生きる道を選んだ宣言です
「お母さん」と叫んだあと、物語は一気に最初の場面へ戻ります。結末で交わされる鉄冠子とのやりとりを読むと、題名にもなっている言葉の意味がはっきりします。
「なれなかつたことも、反つて嬉しい」と鉄冠子の厳しい一言
声に気がついてみると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下にぼんやり佇んでいます。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波と、すべてが峨眉山へ行く前と同じです。峨眉山での出来事は、すべて鉄冠子が見せていた試しだったことになります。鉄冠子は峨眉山で、魔性が現れても声を出すなと言っただけで、それが幻だとは一言も告げていませんでした。杜子春にとって、虎も神将も地獄も、そして馬になった父母も、すべて本物として迫ってきたわけです。だからこそ、母の姿を前にして叫んだ一声は、試しの中の演技ではなく、杜子春の本心から出たものとして読めます。
片目眇の老人は微笑みながら「おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」と言います。杜子春の答えは「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、反つて嬉しい気がするのです。」でした。続けて、いくら仙人になれたとしても、鞭を受けている父母を見て黙っているわけにはいかない、と涙を浮かべたまま老人の手を握ります。
ここで鉄冠子は急に厳かな顔になり、「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐたのだ。」と告げます。つまり、試しの本当の合格点は「黙り通すこと」ではありませんでした。親が苦しんでいるのを見ても黙っているような人なら、仙人になる資格どころか、生きている意味もないと考えていたわけです。前半で杜子春の顔を見て「物わかりが好ささう」と感じた鉄冠子は、杜子春が人の心を失っていないかを確かめていたと読むことができます。
そのうえで鉄冠子は、「お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。」と言い、これから何になったらよいと思うかを尋ねます。お金も仙術も手放した杜子春に、最後に残った選択を問いかける場面です。弟子入りのときに「お前次第」と言った鉄冠子は、ここでも答えを与えず、杜子春自身に言わせています。鉄冠子の厳しい言葉は、黙ることそのものに価値があるわけではない、という考え方の表れです。約束を守る強さと人を思う心のどちらを優先するかが、最後に問われていたことになります。ここで出てくるのが、「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」という答えでした。
「人間らしい正直な暮し」と泰山の麓の桃の花
この答えを口にしたときの杜子春の声には、「今までにない晴れ晴れした調子」がこもっていたと書かれています。前半で「人間といふものに愛想がつきた」と言って人の世界から逃げようとしていた若者が、ここでは人間として生きることを自分から選んでいます。人間に失望した理由も、人間を信じ直した理由も、どちらも「人の心」にあるという組み立てです。「人間らしい」の反対側に置かれているのは、前半の友人たちのように、相手が持っているお金で態度を変える生き方でしょう。杜子春自身も、かつては黄金の力で人を集める側にいました。
「人間らしい」は、母親のように、自分がどうなっても相手の幸せを願う心を持って生きる、という意味で読むと前後の流れとつながります。「正直な」は、お金の力で人を集めたり、仙術で楽をしようとしたりせず、身の丈に合った暮らしをするという意味に受け取れます。前半の「貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか」という問いに「出来ません」と答えた杜子春が、物語の最後でその答えを言い直した形です。
鉄冠子は「その言葉を忘れるなよ。」と言って、二度と会わないと告げて歩き出します。ところが急に足を止めて振り返り、「今思ひ出したが」と、泰山の南の麓にある一軒の家を畑ごと杜子春に譲ると言い出しました。今頃は家のまわりに桃の花が一面に咲いているだろう、と「さも愉快さうに」付け加えたところで物語は終わります。本文の末尾には「大正九年六月」と書かれていて、作品は翌月の「赤い鳥」に掲載されました。「赤い鳥」は鈴木三重吉が主幹を務めた子ども向けの雑誌で、童話として書かれた作品だったことも、明るい結末と無関係ではないでしょう。
この終わり方について、Xでは「今思い出したが」と言いながら桃の花の話まで出てくるので、仙人の贈り物が少し照れくさそうに見えるという感想も投稿されています。黄金のような大金ではなく、自分で耕す畑のついた家を渡すところに、「正直な暮し」を応援する鉄冠子の気持ちが表れていると読むこともできるでしょう。芥川の作品で仙人が出てくる話としては、このサイトの芥川龍之介『仙人』の記事もあわせて読むと、仙人の描き方の違いが見えてきます。
唐代の原典「杜子春伝」との違い5点
『杜子春』には、もとになった中国の物語があります。原典と比べると、芥川がどこを変えて「人間らしい」結末にしたのかがよく分かります。
原典は『太平広記』の「杜子春伝」で、初出の舞台は長安でした
明治大学の加藤徹さんのサイトにある唐代伝奇「杜子春伝」と芥川龍之介「杜子春」の比較ページは、「杜子春伝」を唐代伝奇の一つとし、宋の『太平広記』巻十六に、唐の李復言『続玄怪録』を出典として収められていると紹介しています。原典と芥川の作品を場面ごとに並べて比べていて、違いを確かめるのに役立つページです。
1点目は、物語の設定です。原典の時代は南北朝時代末期の周・隋の間、場所は長安、季節は冬で、唐の洛陽の春から始まる芥川の作品とは異なります。修行の場も、原典では長安から近い華山の雲台峰へ歩いて登るのに対し、芥川では遠く離れた峨眉山へ青竹に乗って飛んでいきます。老人の正体も、原典では道士で、芥川では鉄冠子という名の仙人です。鉄冠子は、『三国志演義』にも登場する仙人、左慈の号でもあります。
舞台の都は、初出と現在読まれている本でも表記が違います。国立国会図書館のレファレンス協同データベースにある『杜子春』の冒頭の表記についての事例は、初出の『赤い鳥』大正9年7月号の復刻では「唐の都長安の西の門の下に」と書かれている、という回答です。そのうえで、大正10(1921)年3月刊行の第五短編集『夜来の花』で洛陽に改められ、以後これが通行の底本になっていること、日本語では洛陽のほうがなじみがあり都と結びつく地名だから改めたという研究者の説があることも紹介しています。
2点目は、お金の渡し方です。原典の老人はペルシャ人の屋敷で現金を与えますが、芥川は地面に埋めた黄金のありかを教える形に変えています。浪費して貧乏に戻るまでの期間も、原典の「一、二年」に対して芥川は「三年ばかり」です。
3点目は、杜子春が修行を決める動機です。原典では、親戚の誰も助けてくれなかったのに見ず知らずの老人が3度も助けてくれた、その恩に感じたからとされ、芥川では「人間といふものに愛想がつきた」からとなっています。原典の杜子春は修行に入る前に、一族の孤児や寡婦のために土地や家を用意し、恩人に恩返しをするなど身辺を整理しますが、芥川の杜子春にはこの場面がありません。こうした変更によって、芥川の作品では「お金」と「人の心」の対比がはっきりし、最後に母の思いに気づく流れが際立っています。
原典では「ああ」の一声で仙薬が失敗し、杜子春は恥じて帰ります
4点目は、声を上げる場面です。原典の道士は、修行の前に白い石の薬を三丸飲ませ、これから現れる神や鬼、猛獣、地獄、身内が苦しめられる姿はみな真実ではないと、あらかじめ言い聞かせています。それでも杜子春は、十年以上連れ添った妻が拷問される姿にも黙り通し、斬られて地獄の責め苦を受けたあと、女性に生まれ変わりました。結婚して産んだ男の子が2歳になったとき、一言も話さない妻に怒った夫が子の頭を石に打ちつけ、杜子春は心に愛が生じて約束を忘れ、思わず「噫(ああ)」と声を漏らします。原典の声は母が子を思う「愛」から、芥川の「お母さん」は子が母を思う「孝」から出たもの、という整理です。
5点目は、結末の明るさです。原典では、声を上げた瞬間に杜子春はもとの場所に戻り、仙薬を作っていた炉から火が上がって建物が焼けます。道士は杜子春の髪をつかんで水甕の中に投げ込み、火を消しました。時刻は五更、夜明け前のことです。壊れた炉の中には腕ほどの太さの鉄の柱があり、道士が衣を脱いで刀で削っている姿も描かれています。道士は、喜び・怒り・哀しみ・恐れ・憎しみ・欲は忘れられたが愛だけが残った、声さえ上げなければ薬は完成し杜子春も仙人になれたのに、と嘆くばかりです。杜子春は誓いを忘れたことを恥じ、お詫びに再び山へ登りますが、人の気配はなく、嘆き恨んで帰ったところで話が閉じられます。
芥川の結末では、鉄冠子は黙っていたら命を絶つつもりだったと言い、杜子春は仙人になれなかったことを「反つて嬉しい」と感じ、泰山の麓の家と畑まで贈られました。原典のテーマは「信義」で、約束を守れなかったことを深く恥じる話として読まれています。同じ「声を上げてしまう」場面でも、原典は失敗の物語として、芥川は人間らしさを取り戻す物語として書かれているといえるでしょう。
さらにさかのぼると、玄奘の『大唐西域記』巻七には、「杜子春伝」の元になったと思われるインドの説話が収められています。インドの説話から唐代の伝奇、そして大正時代の童話へと受け継がれる中で、同じ「沈黙の試練」が、時代ごとに違う意味を持たされてきたことが分かります。芥川の他の作品の結末と比べたい方は、このサイトの『蜘蛛の糸』の記事もあわせてどうぞ。
まとめ
『杜子春』の「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」は、お金に振り回され、人間に愛想を尽かして仙人を目指した若者が、母の思いに触れて人の中で生きる道を選び直した言葉です。
読み返すときは、次の3つの場面に注目すると流れがつかみやすくなります。
- 3度目の黄金を断り「人間といふものに愛想がつきた」と言う場面
- 母の「心配をおしでない」を聞いて「お母さん」と叫ぶ場面
- 鉄冠子が「黙つてゐたら」命を絶つつもりだったと明かす場面
唐代の「杜子春伝」と読み比べると、同じ沈黙の試練が、芥川の手で明るい結末に作り変えられていることも味わえます。青空文庫で原文を読み、自分なりの「人間らしい」の意味を考えてみてください。
